
1981年(昭和56年)4月から2年間、当時、東京都港区六本木にありました東京大学生産技術研究所 第3部 高木幹雄研究室/多次元画像処理センターで、気象衛星のリモートセンシングの研究をしていました。

種子島から届いた直径 2.4m のパラボラアンテナを用いて、気象衛星「ひまわり」と「NOAA」の受信をしてのリモートセンシングが研究テーマでした。研究室は大学院生と複数の企業からの研究員の方々が一緒に研究しておりました。
1981年(昭和56年)4月から2年間、当時、東京都港区六本木にありました東京大学生産技術研究所 第3部 高木幹雄研究室/多次元画像処理センターで、気象衛星のリモートセンシングの研究をしていました。
種子島から届いた直径 2.4m のパラボラアンテナを用いて、気象衛星「ひまわり」と「NOAA」の受信をしてのリモートセンシングが研究テーマでした。研究室は大学院生と複数の企業からの研究員の方々が一緒に研究しておりました。